ただついて行くだけ、それがピクミンだと思っている人はひどい考え違いをしている。生殺与奪の権利まで握られているのになぜ気が付かない!というコラム。
- 「俺ピクミンするわ」と軽々しく言ってはいけない言葉の重さ。本当について行きたい者のためにあなたの「尽くす」をとっておこう
- ピクミンとは?任天堂が2001年に発売したゲームに登場する植物っぽい社畜みたいな生き物的な何か
- なぜ「ピクミン=ただの指示待ち」の意味で使われるようになったのか。FF11などのネトゲでも使われて、2010年頃から広まっていったようだ
- ピクミンは死をも恐れず、命令には絶対服従し見返りを求めない。その姿が当時のサラリーマンには儚く映り、突き刺さるものがあったため大ヒット
- ピクミンの哀愁漂う雰囲気は計画通り?「愛のうた」の歌詞から分かるピクミンの気持ち
- どんな結果になっても相手を責めず、見返りを求めず、命を犠牲にして指示に完璧に従える者だけが「自分はピクミンです」と名乗れ!
- いつか出会う「尽くそう」と思える人のピクミンであれ。本当に大事だと思えるもののために
「俺ピクミンするわ」と軽々しく言ってはいけない言葉の重さ。本当について行きたい者のためにあなたの「尽くす」をとっておこう
いつもは解説記事やレビューなどを主体に執筆しているパピルス(@arutora)です。
今回は完全に私見を述べるコラムでも書いてみようという試み。ちょうど10月にニンテンドースイッチ版のピクミン3デラックスが出るとのことでしたので、前々から私が思っていた「ピクミン」という言葉について触れながら書き綴ってみます。
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というのも、あまりにも軽々しく「ピクミン」という言葉を「ただついて行くだけ」という意味で使っている人が多すぎませんか?という問題提起もしたかったからです。
さて、本当のピクミンについて……あなたはご存じですか?
ピクミンとは?任天堂が2001年に発売したゲームに登場する植物っぽい社畜みたいな生き物的な何か
引用元:任天堂
まずはピクミンというゲームを知らない人に解説しておきましょう。
「ピクミン」は2001年10月26日に任天堂より発売されたニンテンドーゲームキューブ用ゲームソフトで、そのゲーム内(以降のシリーズも含め)に登場するゲームキャラクターです。
このゲームでは主人公のオリマーが乗る宇宙船が事故でとある惑星に墜落してしまいます。
そこで出会ったピクミンという植物なのか動物なのかわからない奇妙な二足歩行生物の助けを借りて宇宙船を修理して、自分の星へ帰還するのが目的となっています。
プレイヤーが操作するオリマーはホコタテ星人という身長が3cm程度しかない小さな種族で、墜落した惑星の待機中に含まれる「酸素」はオリマーにとっては有毒。さらに原生生物がうようよしており、非常に危険です。
そのため原生生物にはオリマーだけでは太刀打ちできず、ピクミンに指示を出すことによって戦闘させて、各地に飛び散った宇宙船のパーツを回収するというゲーム性でした。
ピクミンはオリマーに放り投げられるか、または指示が出されたことにより移動して何らかの物体に接触すると、その物に応じて適切に判断して行動します。
ピクミンは指示が無ければ鼻歌を歌って棒立ちしたりしているだけなので、活用するには支持を出さなければなりません。
状況に応じて適切に支持を出していくというのがプレイヤーの腕の見せ所であり、テクニックが必要なゲームだったのです。
なぜ「ピクミン=ただの指示待ち」の意味で使われるようになったのか。FF11などのネトゲでも使われて、2010年頃から広まっていったようだ
ゲームが発売されて随分立ちます。というかピクミンが今から19年前のゲームだとか信じられませんね。
それはともかく、現在では「ピクミン」という言葉が「ただついて行くだけ」「寄生する」「指示待ち人間」というような意味合いで使われることが多いです。どちらかというとかなりマイナスイメージで使用されているのが実際のところ。
特にネットゲーマーならどこかで一度はピクミンという言葉を聞いたり、あるいは自分で使ったことがあるのではないでしょうか。
いつ頃からこうした意味合いで使われるようになったのかは諸説あるようですが、一番有力視されているのがファイナルファンタジーXIで使われた後広まっていったとされるもの。
FF11で使われる用語として「ピクミン」があり、
何の下調べもせずに「ただ主催者についていくだけ」の参加者を「ピクミン」になぞらえて揶揄したもの。
言葉自体は比較的古くからあったものの、アビセアの実装とそのシステム的な内容により、「シャウト募集での必須ジョブを絞った短期的な活動」が広く行われるようになり、同時に、この「ピクミン」問題も大きく顕在化した。この揶揄は公式にも認識されているようで、2013/03/27のニコニコ生放送のファイナルファンタジーXI ヴァナTV アドゥリンの大魔境でも松井代理のMocchiから発言があった。
引用元:FF11用語辞典
インターネットの普及とネットゲームが浸透していった時期的にも納得できます。
まさしく昨今でも使われている意味合いそのものであり、特にオンラインゲーム界隈では当たり前のように通じる言葉ですね。
いずれにしても、今では「ピクミン」は自虐的な発言として用いられたり、あるいは蔑称として使われたりすることがほとんどなのが実際のところです。
わかっています。
でも私はどうしても言っておきたいことがある。
「お前それオリマーの前でも同じこと言えんの?」
ピクミンは死をも恐れず、命令には絶対服従し見返りを求めない。その姿が当時のサラリーマンには儚く映り、突き刺さるものがあったため大ヒット
このゲームが人気になった最たる理由というのが、ピクミンの怖くなるほどの献身的な態度にあるといえるでしょう。
ピクミンは彼らの母体である「オニヨン」という物体から種が放出されて増えていきます。そのオニヨンに原生生物の死体を運んでやると、栄養源になってピクミンが増殖するというシステム。
放出された種は発芽し、地面からはピクミンの頭の部分だけが露出しており、これを引っこ抜くことで動き回る生物としてのピクミンになるのです。
ピクミンは引っこ抜かれて最初に目にしたものの指示に従うという特性を持っており、この特性を利用して笛で指示を出して言うことを聞かせます。ピクミンは謎の生物ですが、主人公であるオリマーの指示には絶対に従います。
初代ピクミンでは3種類、ピクミン2ではさらに2種類増えて、
ピクミンの種類と特性 | |
---|---|
赤ピクミン | 火に強いので焼け死なない |
青ピクミン | 水に強いので溺れ死なない |
黄ピクミン | 電気に強いので感電死しない |
紫ピクミン | 他のピクミンの10倍の力持ち
耐性はひとつもないので死にやすい |
白ピクミン | 毒に耐性があるので中毒死しない
自身に毒があるので敵に食わせると毒ダメージを与えられる |
それぞれこのような特徴を持っています。
ピクミンをやったことがない人はこれを見て違和感を覚えるかもしれません。そうです、基本的に死ぬことが前提になっているのです。
前述したように、オリマー(主人公)自体は戦闘能力をほぼ持っていないため、指示通りに動くピクミンを使って、原生生物と戦わせることで自分の命を守ります。
ピクミンはプレイヤーの指示には絶対に従います。
そのため、例え火に突っ込めと言われて焼け死んでも、水に突っ込めと言われて溺死しても、感電死しても、毒のために犠牲になれと言われても、絶対に拒否しません。死ねと言われれば死ぬのです。
引用元:任天堂
そんな扱いでピクミンが減ってしまったらどうするのか?戦利品の原生生物の死骸を、先ほどのオニヨンに突っ込んでまた増やせば良いのです。
ピクミンを1匹も犠牲にしないでゲームをクリアすることはほぼ不可能で、必ず犠牲がでます。でもピクミンはたくさんいます。同時に100匹まで連れて歩けます。
多少の犠牲は付き物ですし、きっとプレイヤーはどのピクミンが死んでしまったかなどいちいち気にもしないでしょう。また増やせば良いからです。
……さて、ざっくりとピクミンの仕組みについて事実だけ書きましたが、どう思いましたか?やったことがない人は「え、そんな怖いゲームなのか」と感じたかもしれません。
もちろん、上記はゲーム性や本来の楽しさなどを一切排したちょっと意地悪な書き方をしています。本当は楽しいゲームです。
ただ、可愛らしいキャラクターたちからはおよそ想像ができないような過酷な環境、そして絶対服従のピクミンの犠牲を払ってでも生き残るために必死になるプレイヤー。そうしたアンバランスに思える要素を突っ込んだのが「ピクミン」というゲームでした。
面白い現象ですが、このピクミンが売れまくった背景のひとつに「大人が買って遊んでいた」というのがあります。
今では大人もゲームをするのが普通のような風潮がありますが、発売された2001年当時はゲーム機は子供が遊ぶものという見方がまだまだ強かった時代。
ピクミンが発売されたのがGC(ゲームキューブ)という、今から見れば子供向けデザインのゲーム機であったにも関わらず、社会人として働く大人たちの注目を集めていました。
なぜでしょうか。そう、それは「ピクミンに自分の境遇を自己投影していた」からです。
今でこそネットが普及してブラック企業だとか、労働条件だとかの話が表沙汰になって議論されるようになりましたが、インターネットがそこまで普及していなかった時代はそんなことが普通だと片付けられていました。
ある程度年を重ねた方なら知っているでしょう「24時間戦えますか」というキャッチフレーズを。
どんなに過酷でも、理不尽でも、それでも上司がやれといえばやらなければならない。あらゆるものを犠牲にしても仕事をまっとうするのがサラリーマンとされた時代。
そうした時代の特色が今よりも色濃く残っている時代にピクミンというゲームが誕生したことで、忠実に従うピクミンたちを見て、社会の歯車の一部となって身を粉にする自分たちの姿を投影しながら引き込まれていく大人たちが多かったのです。
ピクミンの哀愁漂う雰囲気は計画通り?「愛のうた」の歌詞から分かるピクミンの気持ち
一見可愛らしいけれど、もの悲しい作風というのは任天堂もそもそも狙っていたのかもしれません。というのも、CMソングに使われていた「愛のうた」という歌詞があまりにも哀愁に満ちているからです。
有名なソングなので聞いたことがある人が大半だと思いますが、その歌詞すべてを記憶している人は少ないでしょう。
全部を乗せると色々大人の事情的にあれなので衝撃的な部分だけを抜粋してみます。
引っこ抜かれて、あなただけについて行く
今日も運ぶ、戦う、増える、そして食べられるほったかされて、また会って、投げられて
でも私たちあなたに従い尽くします
いろんな生命が生きているこの星で
今日も運ぶ、戦う、増える、そして食べられる引っこ抜かれて、集まって、飛ばされて
でも私たち愛してくれとは言わないよ
力合わせて、戦って、食べられて
でも私たちあなたに従い尽くします立ち向かってって、黙って、ついてって
でも私たち愛してくれとは言わないよ
ピクミンたちの気持ちを代弁したかのような歌詞と、その命の儚さ、それでも懸命に尽くす様を見事に描いた歌詞であり、可愛らしさの中にも哀愁を感じる旋律、CMソングに選ばれたこともあり、この曲も爆発的なヒット曲となりました。
ピクミンソングにおけるもっとも重要なワードは「でも私たちあなたに従い尽くします」そして「でも私たち愛してくれとは言わないよ」の2つであると思います。
1番の歌詞も2番の歌詞も基本的に最後は「食べられる」で終わっています。つまりピクミンは死ぬんですね。
そんな状況を理解していても、「あなたに従い尽くします」「そして愛してくれとは言わないよ」なのです。
それで良いのかよ!?と言いたくなるほど、見返りを求めず、ただひたすらに命令を実行するのです。
このピクミンという生命体が群体としての命の概念なのか、個体としての命の概念なのかは定かではありませんが、ピクミンがいかに献身的に、自己を犠牲として主人公に仕え従っているのかが分かります。
ちなみにピクミンCMにはナレーションが入るのですが、この声を出している森本レオの声がまた最高にマッチするんです。明らかにこれ子供向けで狙ってきたCMではないなというのが見て取れるでしょう。
「あらら~、食べられちゃってますね」がジワジワきます。
どんな結果になっても相手を責めず、見返りを求めず、命を犠牲にして指示に完璧に従える者だけが「自分はピクミンです」と名乗れ!
引用元:任天堂
さてここまで来て本題に戻るわけです「お前それオリマーの前でも同じこと言えんの?」という本題に。
仮にあなたが「俺ピクミンだからさ」などと発言したとしましょう。
そうすると、その場にいる上司やリーダーがいわば「オリマー」になるわけです。その人について行くんです。何があっても。
オリマーはピクミンに対して絶対服従の命令を出し、それが例えどんなに理不尽だろうが、合理性がなかろうが、身の危険があったとしてもあなたは絶対に命令に従わなくてはなりません。なぜならピクミンだから。
そして「俺はこんなに頑張っているのに認めてくれない」や、「俺はもうあいつには付いていけない」と思ってはいけません。命令をした人を責めてもいけません。なぜならピクミンだから。
もし少しでも気持ちが揺らぐのであればあなたは本当のピクミンではないのです。つまり「俺ピクミンだから」は嘘だったということです。偽物です。
どうでしょうか。こうしてみると本当のピクミンになることがいかに大変か、覚悟のいることかがわかっていただけたでしょうか。
ですから、軽々しく「ピクミンになる」と口癖のように言っている人はピクミンの本質を理解していない人と考えて良いでしょう。これではあまりにピクミンたちに失礼ではありませんか。
本当にピクミンになるのであれば、ついて行こうと思っている人と心中する覚悟を持つべきなのです。
いつか出会う「尽くそう」と思える人のピクミンであれ。本当に大事だと思えるもののために
だからといって「俺は本当のピクミンにはなれない……」と落胆する必要はありません。人間何か大切なもののためならば全力になれるものです。
人生は短いようで長く、生きていればどんな分野であっても「この人について行こう!」と思える人がいつか現れると思います。
それに、そういう人は無理な要求をしたりしませんし、横暴な態度も取らないでしょう。きっとあなたのことを大事にしてくれるはずです。
本当にそういう人が現れたとき、すべてを犠牲にしても良いと思える人が現れたときのために、あなたの「ピクミン」はとっておくべきです。そうそう自分を安売りすべきではありません。
誰にでも付いて行き、ただ言われたことを実行する。それだけではあなたらしさが消えてしまうのではないでしょうか。
歯車があるから機械が動くのはまさしくそのとおりですが、その歯車にだって人生があり、意思があるのです。
だからよくよく考えて、本当に自分が大事だと思えるものを見つけたら、そのもののために尽くしてください。
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